毎年、伊賀留我神社秋の大祭である降誕祭式典の後、境内に待機する
大太鼓と 大鉦が町にくり出します。平成14年に「大太鼓・大鉦保存会」が
発足し現在 では北鵤のお祭りとして定着しています。 

 
  • 大太鼓町練り

    伊賀留賀神社12:30出発→北鵤第一→北鵤第二→北鵤第四→北鵤第三→北鵤第二→北鵤第一

    →伊賀留賀神社1500到着

 

富田の西南に広がる田んぼが黄金色に色づき収穫も終えて、農家の仕事も一段落した頃、
村人の感謝と喜びの気持ちで祭りが始まる。太鼓と鉦を叩くだけの極めてシンプルな祭り
なのに人々の心は熱く燃える。  

 
 
大太鼓の直経は、1.5m以上けやきの大木をくり抜いて作られた長胴太鼓で近県
でも稀な大太鼓といわれています。作られた時期は、大太鼓胴内の記載事項を
たどると明治10年に桑名の江場村・太鼓師 長谷川半三郎作主と明記されており、
130年の歴史を刻む逸品です。過去この大太鼓は神社社殿の一角に納められており、
重量がある為自在の動きが取れず、神社祭礼の時境内に引っ張り出して大人・子供が
叩いていました。四日市市制百周年の時「富田の祭り」イベントで大鉦と共に参加し、
それを機会に現在の秋の大祭に行われる行事のひとつになりました。
アア・ソーレの掛け声に合わせて叩き、町の中を曳いて行く様子は素朴な祭りの原点を
見るようです。


大鉦の由来は昔行われていた虫送り行事につながります。
古来虫送り行事とは、害虫が稲につきやすい7月頃、麦わらや菜種がらを巻きつけて
たいまつを作り火をつけて害虫を追い払う農作業につながるものでした。
大鉦を鳴らし、はやし立てながら、虫を追い豊作を祈願しました