* 場所は名所・旧跡の鳥出神社から検索
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ここ四日市の北郊・富田地区には昔からの民話が語り継がれ、氏神・
鳥出神社に勇壮な鯨船神事を行って豊漁と町の安全を祈願している。
金色で飾られた絢爛豪華な舟形の山車、これに着飾った稚児や少年が
乗り込み歌と太鼓の音で踊りながら鯨取りの物語を展開する。
             (国指定無形民俗文化財)

 
 令和五年度 ・・・・・今年は富田の鯨船4艘の練りが行われます。

  * 日程についてはトップページの中央上「富田の夏祭り」をクリックしてご覧下さい。
8月14日(月)  鯨船町練り
鎮火祭(鳥出神社にて)8:00〜9:30    *安全祈願の祭りで鯨船は出場しません   
8月15日(火)   本練り (鳥出神社にて)
宮参り(鳥出神社にて)    *無事に祭りが終ったお礼参りなので鯨船は出場しません
なんと言っても鳥出神社で見るのが最高でしょう。
14日の町内で見るのも、地元の人と間近に出会いローカルな祭りの気分に浸る事ができる。
でもこの祭りを愛している私としては一度、夜の「宮参り」を見ていただきたい、
道中伊勢音頭を唄いながら鳥出神社に入る様子は
昼の「動」に対して「静」のしみじみとした味わいがある。
 
組名 町名
北嶋組 新町一区、新町二区、蛭子町、天神町、中川町、北魚町
中島組 本町、寺町
南島組 南魚町、城町、片町、北納屋町、中納屋町、南納屋町
古川町 東古川町、西古川町

昔々の大昔、伊勢湾でもくじらが取れたころのことやさ。

ある日のことやった。
沖のほうで、何本も水柱がたっかぁ上がったんや。くじらが何匹も現れたんやな。
漁師たちは、網のつくろいもそこそこに、勇んで船を出したんや。
親くじらは、子くじらをかばいながら泳いでいた。
猟師たちは何時間もの追跡に、銛を打てるまで鯨に近づいていったんや。

そして長い時間まっとった。
そしたら、息を継ごうとして、くじらが大きな体を海面から突き出して現れたんや。
親鯨と子鯨やった。ほしたら、その時親鯨は、銛打ちに哀願するように言ったんや。
「私たちは、はるか紀州の海から伊勢参りにやってきました。
せめて伊勢参りがすむまで見逃してください。」
親鯨の目からは大粒の涙が光った。しかし、銛打ちは、親鯨の背中に、一番銛を打ちこんだんや。
見る見るうちに海は真っ赤に染まった。苦しみながら、親鯨は、それでも訴えた。
「子供だけは、助けてやってください。」しかし、漁師たちは、子鯨共々射止めてしもたんや。 

ほしたところが、
それからというものは、富田の浜では一匹の魚も網にかからん様になってしもたんや。
浜では、あの親子の鯨のたたりに違いあらへん・・とうわさしあった。
困りきった猟師たちは、親子の鯨の霊を慰めようと、伊勢参りにも行き、
もう二度と鯨は取らんと誓ったりしたんや。

ほんでやっと浜にも前のように魚が戻ってきた。
ほんでも、猟師たちは、あの勇壮な鯨取りを忘れることが出来やなんだんやな。
ほんで年に一度の夏祭りに、その勇ましかった鯨取りを、陸の上でしのぶことにしたんや。
これが富田の鯨船祭りの始まりなんや。

 

演技の中に鯨を見つけてから撃ち取るまでの物語があります

 港から出た鯨船山車が鯨のいる場所まで、流し歌と呼ばれる櫓こぎの
  世間話を表現した歌を唄いながらゆっくり移動します。
 
 練り受けを頼んだ民家や鳥出神社等の特別な場所に着いたら
   役歌の鯨を発見したという歌を唄います。
   役歌 「沖の鴎が背美(セミ:せみ鯨の事)はと問えば、
   背美はくるくるのほほへ後へくる、おめでたやぁ〜」
 
 山車を左右に傾け鯨を追い詰めてゆきます。
   鯨の巨体で大きな波が起こり、船が揺れている様子を表現しています。
 
鯨を追いつめますが、形成逆転して逆に鯨に追いかけられます。
 
再度、山車は体制を整え鯨を追い詰めてゆきます、
   最後に海面から顔を出した鯨をハザシが銛を打ちます。
 
鯨をしとめた山車は、大漁を祝う内容の役歌を唄います。
 
で一つの物語が完結し、この繰り返しで祭りは行われます。
 
   豪華絢爛な鯨船山車を激しく動かす姿は、まさに圧巻です。